ハンスJ.ウェグナーのJH501とJH503
『The Chair』と呼ばれる世界的名作になるまで
生涯に椅子だけでも500脚以上の作品をデザインしているといわれる北欧家具の巨匠、ハンスJ.ウェグナー(1914-2007)。
その中でもとりわけ高い評価を受け、「最高傑作」と称されるのが、ラウンドチェア「JH501(1949年)」「JH503(1950年)」です。
この椅子は、やがて「The Chair(ザ・チェア)」と呼ばれ、世界中で愛され続ける名作となりました。
なぜこの作品が世界中で愛用させているのか?
なぜ70年以上経つ現在でも色褪せないデザインなのか?
この名作チェアが生まれた背景やその揺るぎない魅力についてひも解いていきます。
1. 名作の静かな誕生 ~知られざるギルド展の舞台裏~
デンマークの名作家具の多くは、デザイナーと職人との密接なコラボレーションによって生まれました。
その重要な舞台となったのが、デンマーク家具職人組合によって開催されていた展示会「キャビネットメーカーズ・ギルド」です。
この展覧会は、家具職人たちの技術を披露する場であると同時に、家具デザイナー、建築家、家具メーカーたちがコラボレーション作品を発表するための重要なプラットフォームでもありました。
主にコペンハーゲン中心部で1927年から1966年までの40年間開催され、数々の名作家具を世に送り出すきっかけとなりました。
参考文献:Grete Jalk(グレーテ・ヤルク)編『40 Years of Danish Furniture Design』(1987年発刊)vol.3 p.103 |
同上文献 p.103 フォールディングチェアJH512 |
そんな中、1949年にハンスJ.ウェグナーは、老舗工房Johannes Hansen(ヨハネス・ハンセン)からJH501(最初期モデル/籐張り・オーク材)を発表します。
参考文献:Grete Jalk(グレーテ・ヤルク)編『40 Years of Danish Furniture Design』(1987年発刊)vol.3 p.99 1949年に発表されたJH501 |
同上文献 p.101 |
後に「The Chair」と呼ばれることになるこのラウンドチェアの最初の姿です。
しかし、そのシンプルすぎる佇まいは、当時のデンマークのメディアの関心を引くことはありませんでした。
展示会の注目はむしろ、成形合板や折りたたみ式の実験的な作品に集まり、JH501はほとんど話題にされませんでした。
当時、ウェグナーがジャーナリストのHenrik Steen Møller(ヘンリック・スティーン・モーラー)に宛てた手紙の中で、当時の展示会についてこう綴っています。
‘As for my round chair, The Chair, there wasn’t a word in the Danish newspapers.’
「私のラウンドチェア(The chair)については、デンマークの新聞には一言も掲載されませんでした。」
この当時、アルネ・ヤコブセンやフィン・ユールといったデザイナーたちはすでに国際的に知られており、ウェグナーはまだ彼らと肩を並べる存在ではありませんでした。
翌1950年に同じくhannes Hansen社より、The Chairの転機となるモデルとして革張りバージョンであるJH503が発表されます。
同上文献p.141 1950年に発表されたJH503 |
これはThe Chairの進化形とも言えるもので、特に海外輸送を想定した耐久性を重視して設計されました。
本来ウェグナー本人は、籐の座面にこだわりを持っていましたが、アメリカをはじめとする輸出市場では湿度や気候による変化に強い革張りが好まれると判断し、この仕様が採用されたのです。
また、このモデルからは背もたれにフィンガージョイント(木材同士をかみ合わせて接合する技法)が導入され、これがまた当時の職人たちに大きな衝撃を与えました。
伝統技法と革新を融合させたその構造は、多くの家具職人に新たな可能性を感じさせたのです。
The Chairはこうした背景の中で静かにスタートを切り、やがて世界中の人々の目に留まり、評価される存在となっていきます。
それは、決して一夜にして名作となったのではなく、職人の手仕事とデザインの信念が積み重ねた結果なのです。
2. ウェグナーにとっての転換期
参考文献:多田羅景太著『流れがわかる!デンマーク家具のデザイン史』(2019年発刊)p.96 |
1950年、アメリカのインテリア誌「Interiors(インテリアス)」の2月号にThe chairが紹介されました。
ウェグナーの作品はデンマークだけではなくアメリカでも知られるようになり、さらに北欧家具への関心が高まるきっかけになりました。
その後、シカゴにあったクラブからThe chair約400脚の注文がJohannes Hansen社にはいり、約2年間かけて納品したといわれています。
その当時の工房はウェグナーが信頼する代表のJohannes Hansenと工房の幹部であり、Nils Thomsen (ニールス・トマセン)を含む約6人のみでした。
1959年にはアメリカのインテリア装飾雑誌「ハウス ビューティフル」にも紹介されます。
1961年、アメリカのCBSテレビが大統領候補であったジョン・F・ケネディとリチャード・ニクソンのTV討論会に使用するために12脚のJH503を購入しました。
TV放映されたことにより、アメリカ全土に認知され人気を確立していきます。
また1950年から60年代にかけてアメリカやカナダの24の美術館を巡回した「Design in Scandinavia」や、メトロポリタンミュージアムで開催された「The Art of Denmark VIKING TO MODERN」などの展覧会のよって広く認知されるようになります。
展示会「Design in Scandinavia」のカタログ |
展示会「The Art of Denmark VIKING TO MODERN」のカタログとp.121に掲載されているThe chair |
そしてNY5番街にあった「George Jensen(ジョージ・ジャンセン)」の店舗がニューヨーク5番街にオープンしたことをきっかけに、スカンジナビアデザインはアメリカ全土で人気を博していくことになりました。
3. 名工房Johannes Hansen (ヨハネス・ハンセン)
マイスターの資格を有するデンマークの家具職人の中でもウェグナーがパートナーして信頼をしていたのが、名工房Johannes Hansens møbelsnedker A/S(ヨハネス・ハンセン モーブルスネーカー)です。
参考文献『WEGNER bare een god stol』(2014年発刊)Christian Holmsted著 p.56 Johannes Hansenの店舗 |
1940年代から1970年代にかけて多くの家具を生産した名工房であり、Johannes Hansenの成功のきっかけは1940年からはじまったウェグナーとのパートナーシップでした。
その当時の工房はウェグナーが信頼する代表のヨハネス・ハンセンと工房の幹部であり、職人のNils Thomsen (ニールス・トマセン)を含む約6人のみでした。
当時26歳だったウェグナーと親子ほどは離れていたヨハネスでしたが、ユニークな2人のコラボレーションはデンマーク家具デザインの主力となり1950年から1960年代において世界的に認められるようになりました。
同上文献p.49 Nils Thomsen (ニールス・トマセン)と打ち合わせをするウェグナー |
全盛期にはコペンハーゲンでもっとも地価の高いエリアに位置するBredgade76番地に路面店を構えており、デンマークデザインセンター(旧デンマーク工芸美術館)の斜め前にありました。その頃には従業員が約60人にもなる会社へと成長していきます。
参考文献『WEGNER bare een god stol』(2014年発刊)Christian Holmsted著 p.53 |
路面店と同じ場所に製作する工房も併設されておりウェグナーはこの場所で多くの名作を生み出していきます。
Johannes Hansen製の作品にある最初期の焼印 |
Johannes Hansen製の作品にある中期のブリキプレート |
4. さらなる飛躍
1950年代からウェグナーの家具を海外にセールスしていくためにデンマークでは多くのメーカーでウェグナーの製作に取り組みました。
妥協のないウェグナーの考え抜かれたデザインをデンマークの伝統技術によって具現化してきたJohannes Hansen社はもちろん、他のデンマーク家具メーカーでも多くの作品を発表します。
参考文献『WEGNER bare een god stol』(2014年発刊)Christian Holmsted著 p.170 Flag Halyard Chair「GE225」GETAMA社によって製作 |
参考文献『WEGNER bare een god stol』(2014年発刊)Christian Holmsted著 p.66 |
参考文献『WEGNER bare een god stol』(2014年発刊)Christian Holmsted著 p.61 |
参考文献『WEGNER bare een god stol』(2014年発刊)Christian Holmsted著 p.71 |
特に国内外でのウェグナーのセールスをメインにしていた「SALESCO(サレスコ)」の存在は大きく、海外からの注文にも応えられるようにデンマークの家具メーカー5社でそれぞれの得意分野を活かした家具製作に取り組んでいました。
チェア関連は「CARL HANSEN & SON(カールハンセン&サン)」、収納関連は「Ry Møler(リー・モブラー」、ソファ関連は「GETAMA(ゲタマ)」、テーブル関連は「Andr Tuck(アンドレアス・タック)」、張りぐるみのアームチェアは「AP-Stolen(アーピー・ストーレン)」によって製作されていました。
サレスコ社の存在により、椅子に限らず様々な家具デザインに取り組みます。
1980年代後半からデンマーク家具の人気の衰退やオイルショックの影響もあり、1990年代初頭にJohannes Hansen社は廃業。
1992年よりPP Møbler社にて製造を引き継いでいます。
4. 椅子の中の椅子「The Chair」の美技と精密な造形
椅子の中の椅子と呼ばれるThe Chair。
無駄を削ぎ落とした中にも計算された丸みや角度といったディテールへのこだわりが随所に表現されています。
手に触れた感触、安心感のある座り心地はそういった細部の構造から生まれています。
JH501の座面は籐で編まれている |
以前からウェグナーの作品にはクリントの教えからか古典様式を見直すリデザインによる意匠が多く取り入れていました。
特に1600年頃の明代の椅子様式から強くインスピレーションを受けており、チャイナチェア(1943年)やYチェア(1950年)の作品にも同様のエッセンスを感じます。
参考文献『WEGNER bare een god stol』(2014年発刊)Christian Holmsted著 p.114 |
1949年にJH501を発表するまでの試作スケッチの段階では明代の椅子の様式(肘の先端にこぶがあるデザイン)が強く反映した形状であったことがうかがえます。
文献によると試作ではパイン材で製作されており、初期段階のデザインスケッチによるとフィンユールのNV44やチャイニーズチェアのような突起のあるアームレストが描かれています。
丸みを帯びた形状からのちに肘を置きやすい広めのパドル型へと変化していることがうかがえます。
参考文献『WEGNER bare een god stol』(2014年)Christian Holmsted著 p.134 |
実際に製作されたJH501。アームはなだらかな曲線になっている。 |
最終的に展示会で発表された作品は誇張したラインではなく全体的に柔らかな曲線を帯びた作品になっています。
一部に特長的に意匠を加える華美なデザインではなく、細部へのラインへのこだわって作り出された全体のバランスはその後のデンマークデザインの礎となった作品といえるでしょう。
1950年に発表したJH503から背もたれの「見せるジョイント」であるフィンガージョントを採用し、JH501よりもさらにフォルムの美しさや耐久性にさらに磨きをかけていきます。
JH503の背もたれとアームを繋ぐ部分は、フィンガージョイントであえて見せる美しい仕口に。 |
また座との接合部にかかる脚の膨らみは耐久性を考慮しており、肘や脚の端にいくにつれて緩やかに細くなっています。
決して太過ぎず、力強く見える程度に先細りに作られており安心感のあるラインです。
笠木(背もたれ)と必要最小限で構成されているフレームの形状とスケール感が本当に美しい作品です。
Johannes Hansen工房の作品は図面通りの再現だけでなく、熟練職人の手作業により個々の椅子には微妙な寸法差が生まれています。
図面上では同一仕様でも、ハンドメイドの手工芸には味わいや温かみを生まれます。
この完全にマスプロダクトされていないことはデンマーク家具の大きな魅力だと言えます。
各年代や素材によっても表情が異なる名作The Chairを一堂にご覧ください。
当店にて取り扱いのThe Chairはこちら
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