1894-1967Poul Henningsen(ポール・ヘニングセン)はデンマークを代表する照明デザイナーです。
作家Agnes Henningsen(アグネス・へニングセン)を母に、小説家で風刺作家のCarl Ewald(カール・エヴァルト)を父として、1894年コペンハーゲンに生まれました。 1925年にルイスポールセン社からPoul Henningsenの頭文字をとった「PHランプ」を発表。電球からの光線の反射を注意深く分析して、眩しくなく暖かく柔らかな光を放つ照明を独自のロジックにより実現することに成功しました。ランプ自体のデザインやフォルムをどう魅せるかが最優先ではなく、人や物、空間を光によってどのように照らすかを考慮しながら様々なバリエーションが制作されました。「PHランプ」は大成功を収め、活動領域は文筆活動にも広がり、ジャーナリスト、作家としても活躍しました。第二次大戦初期、コペンハーゲンのチボリ公園の主任建築士も勤めましたが、ドイツ軍占領時には他の多くの芸術家たちと同様にスウェーデンに亡命しました。亡命先のスウェーデンではすぐさまデンマーク人アーティスト・コミュニティーの中心的人物となりました。 ルイスポールセン社とのコラボレーションは1925年に始まり、1967年に亡くなるまで続きました。