1907-1988Bruno Mathsson(ブルーノ・マットソン)はスウェーデンのデザイナーです。第二次大戦前後のスウェーデンスタイルを定義するのに貢献するような家具と建築物を作りました。スウェーデン伝統工芸から手がかりをつかみ、有機的でさらに擬人的な造型を探求します。建築物は大規模で斬新なガラスの壁、そして環境と共存する美学で知られています。近代主義が新技術や良質の家具の製造、そしてデザインと製造をさらに発達させるために大切な方法であると提唱します。また、Kaare Klint(コーア・クリント)のようにそれぞれの機能の高い作品を作るために、モダン家具の構造を学びます。「快適な椅子は“芸術”であってはならない。だが椅子を作るにはそのような芸術性が必要である。しかしまた、その精神で作られた座席が芸術になってはならない」と説きました。 1945年から58年は建築に多くの力を注いでいます。40年代にアメリカを訪れたときに、Edgar Kaufmann,Jr.(エドガー・カウフマンJr.)の計らいで出会わせてもらったアメリカのデザイナー達の影響が大きかったといわれています。1958年にはPiet Hein(ピート・ヘイン)と家具デザインと新しい技術開発で共作もしました。1960年代にはスチールパイプ家具の研究製作を始め、布張りの「ジェットソン(Jetson)」チェアと革張りの「カーリン(Karin)」 チェアをデザイン。1955年彼はストックホルムでグレガー・パーソン賞を受賞し、1981年にはスウェーデン政府よりプロフェッサーの称号を受けています。