1898-1976 フィンランドが生んだ20世紀を代表する世界的な建築家、都市計画家、デザイナーです。その活動は建築から家具、ガラス食器などの日用品のデザイン、絵画までと多岐に渡ります。 スウェーデンのグンナール・アスプルンドと並んで、北欧の近代建築家としてもっとも影響力があった一人であり、モダニズムに対する人間的なアプローチで知られています。
1898年、フィンランド中西部のクオルタネに生まれました。測量技師であった父からの影響、母方の祖父が営林職員であったことなどから、小学校入学前から建築家になることを夢見ており、1916年ユバスキュラの高校を卒業後、ヘルシンキ工科大学に進学します。卒業後ユバスキュラ市で「建築・モニュメンタルアート事務所 アルヴァ・アアルト」を開設。1924年には同じく建築家であるアイノと結婚しました。 1929-33年設計のパイミオのサナトリウムによって、短期間のうちに建築家としての地位を確立します。また、このサナトリウムのプロジェクトによって、彼の本格的な家具設計が始まりました。特にサナトリウム用に作られたアームチェアは、成形合板を使った斬新な座面により「材料革命」と評され、家具デザイナーとしても彼の名を一躍有名に。 その後一連のスツールを次々にデザインし、自作の家具を国内外に販売するために、1935年、妻:アイノ・アアルト、マイレ・グリクセン、ニルス・グスタフ・ハールとでartek社を設立する一方、建築家としても地位を不動のものとして、1943年にはフィンランド建築家協会の会長に選任されます。
第2次大戦後の1950年台に入ると、「赤レンガの時代」と呼ばれる地方に伝統的に存在する建築表現を継承・洗練させた、赤レンガを多用する作風に変わりましたが、1955年にフィンランド政府からフィンランド・アカデミー会員に選任され、1963~68年にはその会長職を務めるなど、晩年まで多忙の人でした。
また1971年にヘルシンキの中心部に建築されたフィンランデイアホールは、ユーロ紙幣に変わる前の旧50マルッカ紙幣にアアルトと共に使われていたことから国民に広く愛されていたことがわかります。